スポンサーサイト | スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】   | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






遅めの夏休みとか | 外部記憶(雑学など)とか
昨日、今日と遅めの夏休み。

今日は久しぶりにサーフィンに。
だいぶ立てるようになって(たまに波に乗れる)
前回よりは多少マシになった感はあるものの
まだまだだ、ということです。
まあ、そんなもんだね。

?目線をますっぐにキープすること
?パドリングからテイクオフまでの動作の反復(体に覚えさせる)すること
?動きが硬いのでもう少しやわらかく動くこと

ちなみ‘?の動きが硬い’は実際には、オヤジ化に起因する‘体の(動きではなく)の硬化’なんですが。。。

やれやれ、まいったね、、、まったく。。

でも基本的にはやっぱり楽しめた。
海でマイナスイオンあびまくり~。

明日から仕事復帰(9月中にあと2日間夏休み残ってるけど)。
現実世界に戻ります。

  generated by feedpath
スポンサーサイト
【2006/08/29 22:03】   トラックバック(0) | コメント(1) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






由来、、とか | 外部記憶(雑学など)とか
このブログの題名にもなっている‘独身者の機械’;

そもそもは下に示したマルセルデュシャンの‘大ガラス’という作品から頂いております。

正式には‘彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも’(また、通称‘愛の機械’といったりもします)というガラスのレリーフのような作品です。

‘レディメイド’などでよく知られているデュシャンですが
この‘大ガラス’方がデュシャンの作品の中での重要度が高いというのが一般的な評のようです。
デュシャンの作品はどれも非常に難解ですので
作品についての詳細な解釈はここでは省略しますが、基本的には;

上下ふたつのパートからできていて
上半分が‘花嫁の領域’
下半分が‘独身者(≒聖職者)機械’と呼ばれています。



daigarasu


と、まあ、細かな解釈はともかく
下のサイトをみてもらえるとこの作品を感覚的に捉える事ができるので是非。

http://www.understandingduchamp.com/


(*右上にあるスクロールボタンを押すと‘大ガラス’が出てきます。
後はクリック、クリックで。動く‘大ガラス’がみれますよ!!(実物は動きませんが。。))


ちなみに『独身者の機械』という名前そのものは;

‘機械学的ナルシスムを、フランツ・カフカの『流刑地にて』と、マルセル・デュシャンの『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』と比較した有名の論考であるミシェル・カルージュの『独身者の機械』(1954)にもあります。

それから、

カルティエ現代美術財団での杉本博司展「与えられたとせよ:大ガラス」。にも。

 

‘複雑な関数の三次元模型の「数学的形態」と、機械の動きを示す模型を撮った「機械的形態」。それをパリでお披露目するにあたって、杉本はタイトルに掲げるデュシャン作品の枠組みを借りる形で展覧会を仕立てている。つまり「数学的形態」を「大ガラス」に言う「花嫁」、「機械的形態」を「独身者」に割り振り、それらをジャン・ヌーヴェルのガラス建築で包み込む、という趣向。会場の一角には、やはり「大ガラス」の東京バージョンを撮影したフィルムそのものをガラスで挟み込んだ作品も置いている。特に面白く感じたのは「独身者」=「機械的形態」という見立て。縮めて言えば「独身者の機械」となる。。。’

 

http://www.pg-web.net/off_the_gallery/papery/2004/11Nov.html  を参照のこと)

  generated by feedpath
【2006/08/28 20:04】   トラックバック(0) | コメント(2) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






無意識への旅とか | 外部記憶(雑学など)とか
☆ちょっと覚書;

フロイト、無意識についてのわかりやすいWEBがあったので
勝手にリンク、

【フロイト無意識への旅】
(→http://contest2002.thinkquest.jp/tqj2002/50416/)




floito


  generated by feedpath
【2006/07/28 01:13】   トラックバック(0) | コメント(0) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






惑星の旅とか | 外部記憶(雑学など)とか
海つながりで知り合いのブログから面白いサイトを1つ紹介;

【惑星の旅】→http://jvsc.jst.go.jp/universe/planet/
『人類の未知への好奇心をのせ、遠い惑星へ向かった無人探査機は、
われわれの想像を絶する驚異の光景を目の当たりにしてきた。
『惑星の旅』は、探査機が捉えた200枚超の写真を映像化した
壮大な記録である。太陽系探査の到達点を体験する旅がいま始まる。』

七夕の夜にとても美しいサイト。
唯一、海をもつ惑星としての地球は圧倒的に美しい。
だから海に何かを感じるのでしょうか??
  generated by feedpath
【2006/07/08 18:51】   トラックバック(0) | コメント(1) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






最近のおさらいとか | 外部記憶(雑学など)とか
今日は、消費文化の渦をかきわけて最近気になるものをいくつか。。
◆クリスタルカイザースパークリング;
最近ハマッテル。ただの水をお金を出して買うのはイヤだし、かといって静岡人としてお金を出してお茶お買うのにも抵抗がある、そんな天邪鬼な自分にぴったり。味もすっきり。レモンフレーバーに加えて最近ライムフレーバーもでた。
remonn
◆ドライイチジク;
イラン原産のものが多いらしい。新宿駅丸の内線改札手前の売店でたまに購入する。
なんちゃらかんちゃらで体にもいいらしい。おいしい。
irann

◆タバスコガロンボトル;
アントニオさんでおなじみのタバスコのガロンボトル!!
とにかくすごい存在感。タバスコ好きにはたまらに一品。
ハラペーニョとかもある。
taba

◆カカオ99%チョコレート;
ちょ~苦い、ちょ~苦い。
とにかく苦い。仕事中、頭がだるい時にヒトカケラ。
コレであたまもキレキレ。人生と同じぐらいほろ苦い。
カカオポリフェノールたっぷりで、動脈硬化とかにもよいらしい。
ti
  generated by feedpath
【2006/06/30 00:01】   トラックバック(0) | コメント(4) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






カタチのないものとかコトバとか | 外部記憶(雑学など)とか

カタチノナイモノ。
僕の仕事はこの「カタチノナイモノ」を扱っています。

それはそうと、「カタチノナイモノ」を人に伝えるためにはどうしたらよいか?

コトバをつかう?
絵に描く?
音楽にする?

 よくある歴史的名画はある意味で「カタチノナイモノ」の最も重要な部分を極限・限界まで封じ込め得たものではあるが、やはりそこにはそぎ落とされたものがある。美術や絵画はある意味では、その「カタチノナイモノ」のを構成する最も重要な部分だけを洗練し、余計なものをできるだけそぎ落としたもの、といえなくも無い。
 が、実際には、その「カタチノナイモノ」は、最も重要な部分だけで出来上がったものでは無いからこそ「カタチノナイモノ」であり、混沌や矛盾を含んでいてこそ、完全な意味で本当に伝えたい「カタチノナイモノ」であるといえる気がする。絵画や音楽、詩なんかでも、多様性を含むものもいくらかはある。だけど、それは結局、計画された混沌であり、計画された矛盾でしかない。
 コトバや絵や音楽は、そもそも「カタチノナイモノ」を人に伝えるためのものであるとすると、常にある種の洗練(≒余計なもののそぎ落とし)を伴う、出来がいいかどうかはともかく。20世紀では(進歩と発展のために)それで良しとしていたところもあると思う。

 最近、脳を活性化させるゲームなんかが流行ってるけど、僕的には、それようりも‘クオリア’の方に興味がある。
 クオリアとは、「赤の赤らしさ」や、「バイオリンの音の質感」、「薔薇の花の香り」、「水の冷たさ」、「ミルクの味」のような感覚を構成する独特の質感のこと。
 もっと簡単にいうと、今僕が飲んでいるキリンラガービールの味と、‘僕とは違う’あなたが飲んでいるキリンラガービルの味は本当に同じ味なのか、っていうこと。
 もっともっと簡単に言うと、単なる電気信号をやり取りするだけの脳がなぜ感情をもつのか、ということ。

 要するに気になるあの子のことをどんなに思っても(なんだ、この古い言い回し!!)その思いを伝えること、共有することはできないし、仮に伝えること、共有することができたとしても、伝わったこと、共有できたことを確認するすべはない、ということ。

(脈絡なく徒然に・・・)

ishi




  generated by feedpath
【2006/06/29 00:39】   トラックバック(0) | コメント(2) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






記憶の痕跡とか記憶の専制とか | 外部記憶(雑学など)とか

◆ちょっと覚書; 

“to reach the impossibility of transferring from one like image to another the memory imprint. 
We don't have to have a tradition if we somehow free our selves from our memory   \Marcel Duchamp "

 

でもって、意訳してくれてた人がいたので;

心象のようなものを〔絵や文字などの〕他の記憶の痕跡へと転写することはできないのだと気づくこと。方法はどうあれ、忘れてしまえば、一つの流儀に縛られねばならぬ理由など無いのである。/マルセル・デュシャン "ってこと?

んで、さらに解釈してくれてた人がいたので;

思っていることや考えていることをそのまま寸分違わず丸写しにすることなどできないのだということに気づくなら、自身の記憶に縛られ、それを精確に表現しようというやり方を唯一の流儀としなければならないなんてことはなくなる。要するに、写実主義ばかりが方法ではなく、
artは多様であってよいと言っているのではないか"、と。

  generated by
【2006/06/13 23:34】   トラックバック(0) | コメント(0) | この記事のURL | Admin↑ | Top↑






| Top | Next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。